こんにちは、映画プロデューサーをやっている、村岡伸一郎です。
これから気軽に映画の製作の裏話というか、日々の取り組みなど、上手くいくこともいかないことも、赤裸々に書いていこうと思っています。
単純な愚痴にならないように注意しつつ、映画にまつわる事、自分の事、新しい取り組みについてなどなど、多岐にわたって好き勝手に書いていく予定ですw
普段は表に出てこない、映画撮影よりもうんと前から映画を作るに至るまでの、つらく?なが〜い道のりなど書いていこうと思ってます。
今日は、令和3年3月3日、くしくも我が恩師荒戸さん(故荒戸源次郎)が大好きなゾロ目の日です。そして、ひな祭り!縁起がいい〜!
自己紹介を兼ねて、その恩師のお話から。
荒戸さんと初めて会ったのは僕が19歳のとき、今から三十年近く前(そんなに経ってしまったのかと今数えてびっくり)
福岡でやさぐれて、生きることが苦痛でしかなかった俺を、見るに見かねた、面白い大人がいるから、と叔母が引き合わせてくれた。 大人は全員敵だと思っていて(尾崎豊さんの歌ではないですが・・・)
ちょっと頭がいっちゃってると周りの大人から言われていた俺に向かって、
『繊細でまっすぐな子だね、あれでいいんだよ、あの子の感覚はむしろ普通だよ』
と初めて会った僕のことを叔母に言ったそうだった。
その一言で、心を持っていかれてたんだと
思う。その時に運命を捧げる覚悟はしていたのかもしれない。
そして、それから約3年半後ぐらいだったか、プロデューサー荒戸源次郎が初監督に挑んだ映画『ファザーファッカー』(原作:内田春菊さん)が長崎でロケをするということで現場に呼ばれた。
そこには、今では監督や、一流技師さんになっている人達がたくさんいて、当時は助手として走り回っていました!見るもの全てが新しく、しかも、今までに感じたことのない居心地の良さを感じたのを覚えている。何も知らない俺なんかを結構面白がってくれていたと勝手に思っている。その時から、今に至るそこ
で知り合った人はみんな俺のことをしんちゃんと呼ぶ。
その出会いが今の自分の支えとなっているのはもちろん、自分の運命を変える分岐点となった。あの時、あの現場に行かなかったら、荒戸さんとの出会いがなかったら、僕の人生は全く違うものになっていたと思う。
とにかく、あの夏の長崎から始まった・・・
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